焼肉の雑学


1. ヒストリー


2.部位の名称と特性

3.焼肉のタレ

4.キムチ・ストーリー


5.炭火と無煙ロースター






肉食と焼肉ヒストリー


天武4年(675年)天武天皇によって、『殺生禁断令』が出されるまで特に食肉のタブーはなく、狩猟も盛んに行われていたようです。畜産も行われていたようですが、『殺生禁断令』以降の遺跡から豚の骨などは姿を消しており、全国の一部を除いて食用肉を得る以外農作業等の使い道の無い豚も消滅したようでした。『殺生禁断令』は牛・馬・犬・ニワトリ・猿の肉を食べることを禁じていますが、使役に使われる牛馬が主で農作物を荒らす害鳥・害獣は対象でなく、積極的に食べられていたようです。同じ理由で野犬化し、害をなす犬の肉や老いて卵を産まなくなった鶏も食されました。

 三代将軍徳川綱吉の『生類憐れみの令』はかなり厳しい内容ですが、それでも実行は地方によってかなり差があったという事でした。
綱吉の死後その反発からか、肉食はかえって庶民の味として広がったとも言われています。滋養を目的としたいわゆる『薬食い』ばかりでなく、嗜好として普及し、今に残る肉料理の料理屋でこの頃に始まったものもあります。
彦根藩では肉牛の飼育、屠殺が行われ、味噌漬け、粕漬けが作られ幕府にも献上されていた記録があります。
薩摩藩では沖縄より黒豚を導入、飼育し、将軍に献上していました。最後の将軍徳川慶喜は黒豚の料理を気に入っていたそうです。

今日のヨーロッパでも多く食べられるのは鶏・豚・羊・ウサギなどです。『肉といえば牛肉』を指すのはアメリカのみでした。
幕末には欧米人が住み着くようになった日本では中でも牛肉を好むアメリカ人との接触が多かったことが日本人を牛肉好きにし、日本の牛肉をおいしく開発したといえます。

歴史の本には、この頃に初期の『すき焼き』が現れています。この頃のものはまだ牛肉を使うものではなく、鯨肉や鶏肉のものです。1862年に横浜入船町で居酒屋を営んでいた伊勢熊(いせくま)が牛鍋屋を開業。この当時はまだ薄切り肉ではなく、ぶつ切りだったことが記されており、日本でしかなかった『薄切り肉』はまだ登場していません。
明治元年(1868年)、東京・芝に屠殺城が出来、一気に牛鍋屋の流行を見ます。
明治2年、日本海軍は牛肉を栄養食として採用、明治5年には明治天皇自らが国民の肉食奨励のために牛肉を食べる。国民の体位向上が課題とみた明治政府はまさに官民一体で牛肉食の奨励です。

1910年の日韓併合以降日本に住み着いた朝鮮人の一部の人たちの間でモツ料理が食されました。中国文化圏(中国、朝鮮、ベトナム)では儒教のせいで、といわれていますが直火焼きの調理は行われず(今日でも極端に少ない)、焼き物が調理の一般的な部分を占める日本との「文化の出会い」といっていいでしょう。
また、鶏をつぶしたりした経験から内臓の旨さを知り、さらに外国のモツ料理なども参考にした人達もいたと想像され、日朝の多くの人々の関与協力で焼肉が人の味覚に広がってきたと思われます。


戦後の食糧難のときに肉の代用として闇市などで内臓料理が供され人々の味覚になじみ、高度成長期には必要とされる体力=スタミナ源と親しまれるようになってまいりました。

その後の焼肉普及に直接つながったと思われるエポックを並べてみます。

[簑庫の普及(1950年代後半)
 江戸前風寿司が日本中に広がったのは冷蔵庫の普及によります。肉類も同じ理由があり、特に臭いの出やすい内臓関係は冷蔵設備の普及を抜いては考えられません。翻って初期の牛鍋など赤身でさえも高温多湿の日本で、いかに臭いを抑え、抜いたかは想像を絶するものがありそうです。さらに当時の日本人は獣肉の臭いにもさほどなれていなかったと思われますから。
◆屮┘丱蘊篤のタレ」の発売(1966年)
 焼肉のタレが市販されることによって焼肉は家庭料理として浸透普及していきました。
L掌轍阿離瓠璽ー(シンポ)が無煙ロースターを開発(1967年)
 この発明によって、今まで煙の臭いがつくなどと焼肉を敬遠してきた女性層、スーツを着たサラリーマンなども開拓することとなり、客層を大きく広げた。
ぅ皀薀鵐椒鵑両篤のタレ。生パック(1970年代)
 上記エバラが日本風の「つけダレ」であったのに対してこれは朝鮮風の「もみダレ」です。つまりは朝鮮焼肉のスタイルも家庭に浸透してきた、といえます。
ゥ織鷄の登場(1980年代)
 今までなかった塩味の焼肉が誕生。その人気にヒントを得た塩味メニュー、塩カルビ、塩ハラミ、等の発展の土台となる。「よく揚がったてんぷらはつゆでなく塩でいただく」という人がいるように単純な味で素材の旨さを味わう、と考える人も増えてきてタレの味で食べるのではなく、素材をおいしく いただく、という本来の日本料理の食べ方を好む人が増えて焼肉もますます日本料理としての深みを追及されるようになって来ています。


和式焼肉:牛肉をつけダレ。炭火を使って網焼き
韓国式焼肉:プルコギ(Bul go gi)と呼ばれ焼肉の意味で使われているが2つのスタイルがある。日本の焼肉と同じ網焼きで、主に使われる材料は豚肉が多いが近年は牛肉のロースなど赤身も一般的である。焼く前にタレに漬けられ、焼いた後に別の味のソースにつけて食す。これはJapanese-Korean Bar-B-Qとも呼ばれる。

本来のプルコギはヤムニョムというタレに薄切り肉を漬ける。漬ける時間は長短さまざまである。漬けた肉を玉ねぎ、長ねぎ、きのこ、春雨などとともに焼いてあるいは煮てサンチュなどで包んで食べる。プルコギパンという専門の鍋などが使われる。鍋を使用するために脂は落ちず、すき焼きか、野菜炒めに近いものやさらにはスープのようにもなる。プルコギパンも様々で焼き網状に穴が開いたものや、子鍋のようなものなど非常に種類は多い。

ただし、近年は相互の旅行経験などからの普及があり、日本国内でも韓国式、韓国の方でも日本風が広がっている。さらには折衷したものも増えている。

焼肉の名称
 「焼肉」という語は仮名垣魯文の『西洋料理通』(1872年)にバーベキューの訳語として使用されている。その内容は江戸時代より、既にあったももんじ屋などでひっそり続いていた焼肉文化が明治維新後に西欧のバーベキューの影響を受けて変化し、更に世界各国に存在する肉を焼く料理(ヨーロッパのステーキ、北米のバーベキューなど)の影響をも受けて変化したのが現在の日本料理の焼肉であるとされている。日本には江戸時代には既に確立されていた焼き鳥の調理法とタレがあり、それとバーベキューの方法が大きい。串で焼くか、網で焼くか、というばかりでなく、材料やタレの作り方においても。
1950年代朝鮮半島の南北対立が日本国内に持ち込まれ、半島で行われていた『プルコギ』の訳として『焼肉』が使われるようになりましたが、日本では『焼肉』はバーベキューでありそれに焼き鳥の調理法と味付け、その他の要素を加えて発展していったものです。ゆえに応用性が広く様々な材料や味付けを否定せずに拡がりを見せ、楽しみを増やしてくれています。






部位について

牛肉は大別して赤身の部分とホルモンとも言われる内臓部分に分かれます。煩雑を避け、それぞれ知られている部分を述べます。赤身は焼肉以外でもよく使われている部分から並べます。

みすじ 肩部分の内側にあります。一頭から取れる量は1キロそこそこ。肉質は柔らかく、そうでありながらも弾力もあります。サシの入り具合も逸品。味は鮮烈というしかありません。赤身の旨さは強烈であり、サシの味も十分、でありながら後味も妙にサッパリしつこさがありません。まさに至高の牛肉といえるでしょう。下手なタレでは負けてしまいます。刺身なら岩塩をほんの少しか、ワサビ醤油が良いのではないでしょうか? 生姜スライスを乗せて食べる人もいます。
タタキ、焼肉何でもいけます。韓国焼肉店では同じ『みすじ』という名称でも部位が異なりますので注意。

ロース 肩ロース(頭部の近く)、リブロース(尻の近く)があります。初期の焼肉といえばロースでしたし、カツなどでお馴染みですが一昔前まで(今でも?)牛といえばロースが基本でした。

リブアイ ロースの内部にある。赤身でおおわれるロースの中で脂肪分も申し分なく着いており、『最も贅沢な部位』という人も多い。

バラ 名はアバラから来ており、体の下側の一般的な肉です。場所により肩バラ、ともバラなどがあります。脂も良く乗っています。

ツラミ 面身から来ていると思われます、ほっぺたの肉。よく動かす部分ですので濃厚な味で美味ですが安価で出ていることが多く、お勧めです。

カルビ 朝鮮語で『アバラの間の肉』だそうで、『骨付きカルビ』で有名ですが韓国では牛であれ、豚であれ、最も人気の高い部位で専門店も多いようです。

サーロイン 焼肉店よりもステーキ屋さんでおなじみ。

フィレ サーロインの内側の筋肉ですが、一頭からわずかしか取れない高級品。サシが少なくステーキが専らで好みが分かれるところ。

ランプ モモ肉の柔らかい部分です。サシが少ないが、肉は柔らかくステーキにも焼肉屋のメニューのユッケにもよく使われる。

イチボ 牛の臀部。骨の断面が”H”の形をしているので"エイチボーン"から来ている。柔らかい部分はユッケや焼肉など。固い部分はシチュー等に使用。

ホルモン 臭いが出易いので、鮮度の良いものしか口にする気にはなれず、従って変なものを食べる心配は少ないといえます。噛み切りにくい部位もありますが消化は良いので心配ありません。

ハラミ 横隔膜の辺りの内臓肉。背中側をカクマク、腹側をサガリと呼ぶ。一見、赤身に見えますが内臓肉です。一頭の牛から5kg位しか取れない。

ミノ 第一胃。切り開いた形が蓑傘に似ているのでミノ。白色でかなり歯ごたえがあるので、包丁で切込みが入ります。

ハチノス 第二胃。形状が蜂の巣に似ていることから来ている。あっさりしている。コムタンなどに使われる。

センマイ 第三胃。『千枚』の意味の朝鮮語をそのまま訳したもの。生センマイは実際は掃除のために湯通しする場合が多い。表面を湯剥きした『白センマイ』は高級店で出されることが多い。

ギアラ、赤センマイ  第四胃。この部分だけが正しい胃袋らしい。他は食道が進化したものだとか。濃厚でしっかりした味。

テッチャン 文字通り『大腸』の朝鮮読み。脂が多いが身はあっさりしている。好みで脂を落とす。

テール 尻尾です。焼肉屋の料理でも、西洋料理でもよく煮込んだスープは逸品です。

タン  英語のtongueから。一頭から取れるのは1.2〜1.5kg。先端は塩焼きなどですが、根元は柔らかく刺身もおいしい。煮込みもお勧め。

レバー 英語のliverから。鉄などの無機質や、ビタミンB12、B2などのビタミン類が豊富で貧血によい。レバ刺として生で食べるときと、焼いて食べるときとがある。レバ刺のたれは、にんにく醤油、しょうが醤油、ごま塩(ごま油+塩)などが一般的。

ハツ 心臓。英語のHeartから。筋肉ばかりなので刺身でも調理しても噛み切りやすく味もサッパリしている。






焼肉のたれ

1689年に出版された「合類日用料理抄」 には「鳥を串にさし 薄霜ほどに塩をふりかけ焼き申し候 よく焼き申し時分 醤油の中へ酒を少加え 右の焼鳥をつけ 又一変付けて其の醤油の乾かぬ内に 座敷へ出し申し候」とあるそうで、焼き鳥の調理とタレの製法は確立されていたと推測できます。これが以後、多くのタレの基本となったようです。また、串に刺して焼くという調理法も鳥肉に限らず、多くの料理法で使われています。
現在では焼肉のタレ、バーベキューソース、XO醤ソース、ケチャップソース、トマトチリソース、塩コショウ、ポン酢、生姜醤油、ニンニク醤油などなど、あらゆるソースが楽しまれている状況になりました。






キムチストーリー


キムチという言葉は『沈菜』から来ていると言われ、朝鮮語では『漬物』を意味します。朝鮮の文献に初めてキムチが登場するのは「東国李相国集」(李相国 1168〜1241)ですが、その頃は塩漬けであったそうでこれは明らかに『漬物』です。

李朝時代の宮廷では多種の塩辛で味付けしたもの、一緒に漬け込んだものがあったといわれ、これが今日もキムチの原型、元祖といわれ残っている「水キムチ」だそうです。
われわれがキムチを初めて味わった印象と言うと『唐辛子で真っ赤』『にんにく臭』ですが、この当時は唐辛子もにんにくも使われていなかったようです。

キムチの歴史というものを開けば、その多くに「秀吉の朝鮮侵攻によってもたらされた唐辛子がキムチを作った」という説が多いのですが、キムチに唐辛子が使われた記録があるのはその百五十年以上の後になります。韓国では最も辛い唐辛子を『倭椒』『倭芥子』と呼ばれており、これが日本から伝わったということは明らかですが、ご存知のように韓国では数多い種類の唐辛子が料理に使われ、『倭椒』はブレンドされるその中の一種であり、その多くは中国その他から伝わったと思われ、「日本の唐辛子がキムチを作った」という根拠にはなりません。

中国では海沿いの一部を除いて海水から塩を取るのではなく、現在も内陸の岩塩で塩をまかなっています。中国の歴代の王朝は塩の産地を押さえ「塩による支配」を経済支配の手段の一つとしていました。清朝(1644年〜1912年)の支配時代に朝鮮において塩の生産が禁止されました(それまでは塩が不足してなかったとすれば、一般には塩漬けが漬物の主流であったと考えられます)。そこで塩の不足がおき、塩の消費の少なくて済む水キムチを採用したのでしょう。そのうえで、いろいろな薬味が研究され、加えられていったと思われます。1766年発行の『増補山林経済』(柳重林著)には多種のキムチの漬け方とともに唐辛子、山椒などの薬味を使うことが書かれているようで、今日、我々が知っているようなキムチはごく近代になって出来上がったもののようです。

現在のキムチ 日本のキムチが『浅漬けキムチ』なのに対して朝鮮半島では乳酸醗酵キムチです。南の韓国のほうが味が豊富で、北の方はあっさり、唐辛子が入ってないことが多く、辛くないタイプだといわれています。唐辛子は気温の高い地方のほうがよく育ち、辛さも増すそうで、そのあたりも理由かも知れません。
日本では『キムチ』と呼ばれる以前、浅漬けの漬物ににんにくや唐辛子の薬味を和え込んだものが『朝鮮漬け』といって売られていました。キムチの熟成には気温が低いことが条件で、暖かい日本の気候では難しく、そのあたりを対応したのでしょうか?
元々の日本古来の糠漬けも乳酸発酵させた糠床の中に野菜漬け込んだ乳酸発酵食品でした。毎日の糠床の維持と手間、生活の減塩の流れなどがあり、今はスーパー等で買う浅漬けが圧倒的な主流となり、昔から続いている漬物屋でさえも『浅漬けタイプ』を売りにしているのが普通です。

日本の浅漬けも、キムチも塩気を少なく感じるためについ、多く摂ってしまう現状があり、結果的に塩分摂取が多くなる事が多く、気をつける必要があります。







炭火と無煙ロースター


木炭は最古のものは30万年前の遺跡から出ているそうで、燃料としての樹木があるところでは特に珍しくも無いのかもしれません。タイでは日本のものとかなり似た『七輪』を使って調理しているのを露店や家庭などで見ることができます。鉢状の物に木炭の火を起こし、肉や芋、とうもろこしなどの野菜を炙っているのを見ることはアジアの各地で珍しくありません。材木が乏しい中国や中央アジアの方では石炭を使っているのも見たことがあります。

ものの本によると、七輪は江戸時代には既にあったようです。七輪の語源は諸説ありますが、「七厘で買えるほどのわずかな木炭で調理できる」という説もあります。実際は昔でも七厘で買える木炭の量は少なすぎて、無理だったようですが、それほどに燃焼効率や熱効率が良いのも事実です。そして何より火の調節がし易く、高度の焼き加減が難しくありません。焼き魚、焼き鳥、焼肉、ホルモン焼き。日本の焼き物料理は七輪とともに発展し、完成されてきたといって過言ではないでしょう。

昔のように家庭で七輪を使って調理するのが一般的な時代ならともかくも、現在では家庭に七輪を持っている所さえ稀になっています。書いている私の親族も家族が集まって焼肉となれば、韓国式の中央が盛り上がって脂が流れる穴あきの鉄板とカセットのガスコンロを使っています。
_个猟汗瓩簡単=大雑把で構わない。
∩歃などが簡単
C魂个世伐个魑こしたりの事前の作業をしなければならない部分が省略できる。
電気・ガスでの調理に慣れてしまった現在では、炭火やかまどを使っての調理や手入れ、管理はあまりにも手間が多いといえましょう。しかし、七輪で調理された焼き物の味に勝るものはありません。おいしい焼き物は炭火に限ります。

昔の焼肉屋・ホルモン屋といえば、もうもうたる煙と壁もテーブルも脂でテカり、入店には覚悟がいりました。週末に衣服をクリーニング屋に出す前に行く、とか。
こういう状況が無煙ロースターが登場して、がらりと変わりました。店は脂汚れが無くなったので内装がきれいになり洋食屋のような作りの店も登場し、仕事の衣装やおしゃれ着に染み付くと差し支えのある脂煙を気にする必要が無くなり、いつでも楽しめるようになりました。
初期の無煙ロースターは煙を吸い込む時に熱も吸い込むので焼け具合が悪かったり、肉が乾燥したりして、完成までは非常な苦労があったようです。技術の進歩と重なって燃料の木炭の製造技術も、優れた火力と火持ちの備長炭の製造法などの研究によって良い物ができるようになってまいりました。今も『断然、七輪ファン!』という人はいますが、無煙ロースターは脂煙が上がらないという特長ばかりでなく、優れたものは調理の具合も七輪との差があまり無い状態にまでなってきました。

焼肉専門店では炭火スタッフを置いて管理させている店も多いようです。でも、中には炭火と網は繰り返し交換に来るものの、管理に疑問を感じるものもあります。木炭が不揃いで大きな木炭と屑炭が混入している物は火力が不安定になります。おいしく焼くためには火力が安定して、火持ちを良くする事が大事で、その為には木炭の均質化、そしてサイズも同じようにして火力の均質を計るべきです。安定した火力を作っていれば火持ちもよく、頻繁に炭火を交換する必要はないはずです。
現実的には器材=ロースターの性能にも差があり、脂煙を十分に排気し、熱効率も非の打ち所の無いと言えるようなものは極めて少ないのが現状です。

最近ではハイテク化し、ハロゲン熱を使って煙が出ないようにIT化した製品も出ているようですが、IHの炊飯器がかまど炊きご飯を復活させ身近に普及させたように、あの七輪で調理された味にどれだけ迫ることができるのか期待するところです。




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